随想 スカイツリーのテクノと言問のロマン

田辺達也

1 関東かっぱ族の並みはずれた力量

 河童サミッ卜は全国会議だけに、組織と運営は大変骨の折れる大事業です。会場の設営と飾りつけ、河童民芸品展と写真展、本会議の受付、議事運営と懇親会の進行、オプションツアーなど、すべてに細心の注意が払われていて、お陰でこの2日間、楽しく過ごすことができました。
 サミット開催24回、このほか日常活動をこつこつたゆみなくつづけた努力によって、河童連邦共和国の存在は中央でもあらためて注目され、市民権を待ていることを確信しました。浅草曹源寺/かっぱ橋と共に、大江戸カッパの双壁である「おいてけ堀」の名声を考慮しても、墨田区の山崎区長や芙点の木久扇師匠の出席など中々できないことですから。  記念サミットにふさわしい成功を、心から喜ぶとともに、連邦本部の卓越した力量と関東かっぱ族のチームワークに敬意を表します。

2 八代サミットから25年

 本会議場のロビーでは、かっぱ民芸品の即売会と河童連邦共和国の歴史を綴る写真展でにぎわっていました。本部の田辺宏守事務局長から、第1回サミット(八代市開催)の写真を展示していると説明を受け、事務局の気配りに感謝しました。
 鏡割りの大役とスピーチを指名される光栄に浴しました。私は25年前、八代から始まった河童サミットの四半世紀をふり返り、感無量の想いを率直に伝えました。
 1988年8月開催の第1回サミット出席者で、2012年の今年まで、おつき合いのつづく河童族は、銚子の大内恭平さん、堺の和田寛さん、八代の福田瑞男さんら僅か数名です。河童連邦の建国委員なら神栖の岡見晨明さんや船橋の牧野圭一さんのお二人、第2回の琵琶湖サミット(大津)の出会いなら、浅草の森本佳直さんくらいでしょうか。
 河童族も高齢化がすすみ、多くの人が亡くなるか病床にあります。今回出席できた八代以来の顔ぶれは、大内さんと私の二人です。共に傘寿を迎えました。

3 業平ゆかりの地

 スカイツリ−には、私なりの興味がありました。天空からの展望ではありません。
 ひとつは、タワーの建造技術。ふたつめは、在原業平ゆかりの地に惹かれたこと。みっつめ、この巨大な建造物は、果たして、区民の生活や地元経済(商売)に役立つものになるのだろうか? ということです。
 私は1950年代後半の数年、東京の生活があります。八代へ帰った60年代以降も頻繁に上京しました。でも、なぜか都東城には縁遠く、せいぜい地下鉄で浅草止まりでした。隅田川に架かる橋の記憶も、浅草近くの吾妻橋と言問橋ぐらい。欲ばっても、駒形橋・厩橋・蔵前橋など三つ四つです。在京時代、仕事場が新橋近くの芝田村町、下宿が中央線の荻窪や西武新宿線の新井薬師だったので、ぶらぶらの場所は、ついつい、有楽町か新宿界隈になっていました。東京タワーは、鉄骨の伸びる様子を仕事場から毎日見上げていたものの、一度も上っておりません。

①スカイツリー見学は、河童連邦本部の特別の計らいで、公開前の入場券が入手できたので実現できました。634mは中途半端な数と思っていたら、この地の古名=ムサシ・武蔵にちなんだ高さと聞いて納得しました。
 最上階、450mの天望回廊は、少し揺れていました。
 夫婦といっても見方は遠います。私の嫁さんは、双眼鏡を持って行ったので、眼下に広がる東京のパノラマを満喫したようでした。その日は前日の小雨も止んで薄曇り、展望には絶好の日和でした。
 私の興味はつくりです。青年時代、エンジニアリングの仕事にかかわった、職能的なならいからでしょうか。鋼管の大きさ、土台とかパイピング工事、遠近のスタイルなどに目が向きました。タワーの心柱はコンクリートと聞いています。足場から天空へ伸びる、大口径鋼管の絡み具合は、遠方からは美しく、近くでは不気味でした。
 巨大タワーを支える土台部分は、もっと末広がりに、どっしり感が安心できるのではなかろうかとか、このタワーはスタイルが良過ぎて、震度7クラスに耐えられるだろうかなど、余計な?心配をしました。
 アニメ(動画)やフィギュア(模型)の世界ではなく、現に目の前で巨大な鉄の化け物に遭遇すると、日本のテクノロジーには脱帽です。財界にとってのスカイツリーとは、高層タワーを発展途上国に売り込むための、実物見本にもなっています。原子力発電所の輸出で、死の灰を世界にばらまくより、少しはましかもしれません。

②言問橋とか業平橋命名の由来から、隅田川対岸の向島の一角が、平安初期の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの地ということは、聞きかじり承知していました。都鳥に言問う伊勢物語の秀歌と、希代の色男の艶聞は余りにも有名だからです。
 『伊勢物語』は、業平らしい貴人の、センチメンタルジャーニーとも読み取れるのですが、何か違うような気がします。
 平安初期の武蔵の国は、京都から遠っ国、ある意味では辺境の地です。名うてのドンファンが、ほれたはれたの悩みを癒す遠国への感傷旅行は、どうもしっくりきません。在平は、武蔵の国の長官(武蔵守)か何かに任官して、東下りしたのではないか? 向島は、平安時代、すでにかなり陸地化がすすみ、貴族や寺社の領有地(荘園)が広がっていたからです。
 あくまでも推量で、伊勢物語の読みの浅さかもしれません。

③スカイサリー周辺の道路は、バス・マイカーで大渋滞でした。違法駐車がふえて地元の人は因っているようです。もともと、江東の下町・職人(中小企業)の町に、突然降って湧いた巨大タワーの出現、日に数万〜十数万人が押し寄せています。見た目の華やかさとは裏腹に、公共トイレ、ごみ、騒音、落雷、電磁波による健康障害など難問山積のようです。拙速なオープン、との声も聞きました。
 スカイツリーは、地上デジタル放送用のタワーです。経営主体は東武鉄道、投入資金は1430億円、入場者は年間270万人予定。30年で回収する計画のようです。
 行政(墨田区)は「地域活性化の起爆剤」にと、120億円つぎ込んだといわれます。区の一般会計は年間約885億円(平成24年度)です。
 さいころの目は逆さまに出ていませんか?
 スカイツリー内の巨大な物品販売施設「ソラマチ」(312店舗)は、テナント料が墨田区平均の3〜5倍もするので、表向き地元優先といっても中々入店できないといわれます。案のとおり、資金力のある大手系列の店舗が目立ちました。
 入場料は3500円、これは世界一高い。展望台世界1の中国(上海環球金融中心、474m)は1900円、世界第2のアラブ首長国連邦(ブルジュ・バリファジョ、452m)は2200円のようです。入場料収入を今年度70億円見込んでおり、大企業のせっかちが透けて見えてきます。
 ここの商品(土産物や飲みもの)も高い。あそこへ行く人は、せめて自前のボトルを1〜2本、用意して行った方がよいと思いました。
 結局、スカイツリーは、乗武鉄道ひとり勝の観光名所になっていやしないか?
 旅行会社は、「スカイツリーの後は浅草へ、隅田川を渡ればすぐそこです」と誘っています。こうなると、いわゆるストロー現象が起きて、地元商店街、素通りのダブルパンチです。そうならないことを切に望みます。

2012年6月