〈ディベート〉河童のルーツについて 国産説か?渡来説か?

第20回河童サミット・東京 審判員としてのコメント

田辺達也

 「赤勝て白勝て」の源平合戦方式で河童のルーツを探るシンポジウムは、おらが街の河童自慢も兼ねた興味深々の討論になると期待して出席しました。

 河童のルーツ論争は、国産説(化生説)にせよ渡来説にせよ、知恵と雄弁、遊び心、愛郷心の発露が決め手の上品なかけ合いですから、どちらがどんな上手で相手に「参った」と言わせるかを楽しみに審判席に座りました。期待に違わず熱のこもった展開に会場は大いに盛り上がったのですが、議事日程の都合で早めに打ち切られたので結論に至らず、私もジャッジのひとりに指名されて張り切っていただけに、ちょっと残念に思いました。

 以下、その日の論戦を整理してみました。

 

 私なら2つの切り口から考えます。

 ひとつは、民間伝承に優位性や絶対性があるのかどうかという総合的な視点から。もうひとつは、選抜チームのパフォーマンス。なる程とうならせる筋の構築と雄弁で自説の優位性を主張できるかどうかです。

 

  民間伝承を素材にした水の化身・河童の物語りは、呼び名(名嚢)にせよ話の筋にせよ、元々方言で成り立っているので微妙に千差万別で、和田寛先生の『かっぱ事典』からも無限に近く語られております

河童の説話にはその地の風土・民俗、住民の気分がたっぷり凝縮されておりーたとえ、民話の回遊によって元々の筋が影響を受けたり、「水は命」の普遍性から似たような噺(はなし)が生まれる傾向があるにせよー本来、土着的・個性的なもので、地方文化を端的に体現しております。

 日本語で語り継がれる河童は、アニミズムの流れのアニマ説、化生説・渡来説いずれにせよ地域により微妙に違います。灌漑土木工事や寺社仏閣造営の犠牲になる、化生(けしょう)説話のなかの河童と、鳥取大学の道上先生のように自然科学の目で見た化生(かせい)説の渦巻き河童とは、同じ漢字の化けて生まれるでも意味合いも姿形も違います。ところ変われば品変わる。童話作家の松谷みよ子さんによると、沖縄ではアメリカの軍事基地に反対するケンモン河童も現れています。

 河童のルーツについて、海に開けた八代では『河童渡来伝説』を大事にしてこの物語を通史的に考証、全国に発信しております。だからと言って渡来説に優位性や絶対性をとってはおりません。それぞれの町や村に伝わる物語りにとって代わることができないからです。河童のルーツ説は説話の数だけあっても良い、その良さを承知の上で競い合うという懐の深さが八代の立場・河童共和国の立場であります。

 

  選抜チームの当日のパフォーマンスですが、さすが選りすぐりのチームだけに、期待にたがわず熱のこもったいい展開で、私の力量では、優劣がつけ難いと判断いたしました。

 一般論として、今は定番めいたストーリーやイベントが氾濫しているだけに、それぞれの地で感性を研ぎ澄まし、創意を発揮し持続する努力が求められます。

 それを生み出す力の源泉は、結局、水は命の河童大好きの心へ返っていくような気がいたします。

初出・かっぱ新聞第168号
二〇〇七年六月