田辺達也
映画「HOME 愛しの座敷わらし」をみました。実は題名に牽かれて行ったのです。
この作品は、3・11大震災の、被災地と被災者への応援歌になっている、と思いました。
高橋家の3世代5人家族が、お父さん(晃一さん)の転勤で、東京から岩手へ引っ越し、築二百年の「曲がり屋」といわれる、むかし人馬一体の暮らしだった、ばかデッカイ古民家で、新しい暮らしをはじめるのですが……。
晃一お父さんは、不慣れな顧客開拓の重圧からか。史子お母さんは、突然の田舎暮らしからか。中3の長女梓美さんは、転校の不安からか。ストレスがたまって、お互いの気持ちが乱れ、新しい生活はぎくしゃくします。そして、夜な夜な、不思議な気配を感じて、怯える、てんやわんやの大騒動も始まるのです。意外、物怖じせずにしゃんとしていているのが、澄代おばあちゃんです。物の怪といち早く仲良しになり、里の子供たちにもすぐ馴染むのが、小学五年生の智也君です。
村人のはなしから、その正体は、古民家に住みつく小童精霊=座敷わらしでした。人には危害を加えないばかりか、座敷わらしのいる家は繁栄するそうで、ほっとします。
どたばたはあったものの、晃一さん一家は、山村の魅力を実感しはじめ、難解な方言や隣近所とのつきあいにも慣れていきます。
大都会の生活で失われつつあった対話が、囲炉裏を囲む暮らしのながで、次第に回復し、家族の絆が強まっていったのです。清々しく、温もりを体感するドラマでした。
ロケは、遠野をはじめ岩手県内数ケ所で行われたようです。東北の自然をジオラマ風に楽しむ余録もありました。
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この映画は題名のとおり、ファンタジックなホームドラマですが、切り口のやさしい社会派作品の仕上がりにもなっていました。座敷わらしをキーパーソンに、その由来にまで深く立ち入り、ていねいに描かれているからです。
座敷わらしは、岩手県(を中心にした東北地方)の精霊で、旧家の奥座敷に出現し、家の繁栄を守護するようです。童形で、顔が赤く、おかっぱ頭をしています。「座敷ぼっこ」ともいわれます。東北では河童も赫肌ですね。
「座敷わらし」の由来を、近所のハルおばあちゃんから、ズーズー弁で聞くシーンがあります。
ハルさんは、「座敷わらしはな、貧乏ゆえに間引きされてしまった子供の化身だべ」と説明します。しかし智也少年は、「間引き」の意味がのみ込めず、帰り道、お母さんにその訳を聞くのです。
〈いわればなし〉には、故事来歴というか、それなりの訳が必ずあるものです。
民話〈座敷わらし〉の生れる背景には、為政者の過酷な収奪による農民の悲惨な暮らし、追い討ちをかける寒冷と豪雪の大飢饉があります。岩手県は8割が森林で、田畑が少ないのです。食べ物がないから、子供が生まれてもお乳がでない。子供が死んでも、お寺に埋葬するお金もない。だから、泣く泣く川へ流してしまうのです。
『遠野物語』を読むと「河童の子殺し」も出てきます。河童の子を孕んだ不義?を表向きの理由に、〈水子〉として始末する、すり替え、悲しい偽りと重なります。
徳川時代、旧南部藩の資料(「南部史要」)によると、18世紀の宝歴飢饉で、人口31万人のうち餓死5万5千人。八年後の天明飢饉では人口36万人のうち死者6万5千人(うち餓死約5万人)といわれます。遠野だけでも、18世紀初頭の元禄飢饉で、死者約3千人。前出、宝歴飢饉では2千500人の報告があります。
南部藩の百姓一揆も、19世紀末の明治二(1869)年まで一五〇回以上発生しています。ひとつの藩では日本一多い農民の蜂起です。
このはなしは、小学五年生の智也君には、やや難しいかもしれません、しかし、ハルばあちゃんのはなしがきっかけになって、彼は社会に目を向き始めるような気がします。
農山村の貧困と飢餓を題材の哀話は、全国のあちこちに伝承されています。つい数カ月前、四国の河童サミット出席のため、四万十川流域の大正町を訪問しました。そこには「馬之助」の物語がありました。
追記
遠野市には2回ご縁があります。盛岡・花巻、そして三陸沿岸も回遊しました。遠野では、河童が出そうな猿ケ石川水系のあちこちの小川を。カッパ狛犬の常堅寺と河童淵の周りを散策したり、伝承園(歴史民俗資料館)を見学したり、柳田国男の『遠野物語』や井上ひさしの『新釈遠野物語』を読んだりして、少しは東北に近づきました。
あちらの風土と名跡に接し、あちらゆかりの名著を読むと、回りが急にざわついて「何かが存在する気配、何かが現れる兆候」を確かに感じますね。
3・11大震災では、遠野市民と座敷わらし・みちのく河童連合は、被災地支援の物流・情報発信の要衝・後背地として、重責を立派に果たしています。すでに六年前、三陸沿岸の大震災を想定した独自の救援対策を立てていたので、今回、即応・機敏な成果を上げ、近隣の被災地から深謝されています。無為無策・右往左往の政府と対比されるゆえんです。
遠野地方は、昔も今も、みちのく岩手のヘソなのです。
日奈久ペンクラブ月報475号、二〇一二年五月