田辺達也
1河童ブーム
一九七〇年代後半からつづいており、河童愛好家の活発な交流、文芸・工芸の多彩な興隆がブームを支えている。
この背景に社会不安もささやかれており、昭和史の苦い体験から、芥川龍之介や火野葦平の作品にも微妙に投影している。自然環境と社会環境の急激な悪化、人心の荒廃と犯罪の増加、くらしと平和(戦争をする国)への不安が河童の出番を促しているというのだ。擬人法による庶民の警告なり抗議である。
河童族のグループは現在全国に100ばかり、九州では30ばかり。共和国とか王国とかシティとか村を好き勝手に名乗り、夏場になると毎週どこかで楽しい川祭りを行っている。
今年も、五月・千葉県銚子市(利根川)、七月・岩手県遠野市(猿ケ石川)、八月・北海道札幌市(定山渓温泉)、九月・鹿児島県薩摩川内市(川内川)、十月の先週は静岡県焼津市(駿河湾)で全国規模のイベントがあった。
河童サミットは八代が初回(88年)。創意と先進性、催事の成功が河童共和国への敬意とその後の河童ブームを決定づけ、毎年持ち回り18回、九州サミットも12回をかぞえ、今では夏の風物詩になっている。国や地方自治体、商工団体も「切り口のやさしい水環境擁護と楽しいマチ起こし効果」を期待し後援している。歴史民俗資料館は夏休みに河童特別展のロングラン、学校でも文化祭に河童の研究が発表されている。お色気カッパの黄桜酒造も河童資料館をオープンした。河童ブームの息の長さは近年の不思議である。
河童は生物の誕生と生存・暮らしに深くかかわる水・水環境の化身(気配・アニマ)。河川流域・湖沼・海のほとりに息づいてきた。近年、アジアやヨーロッパにも目が向いているー河童が主役のチェコの民話には邦訳がある。TBS(テレビ局)の特番『新ポルトガル謎紀行』は、八代の「オレオレデライタ」に注目、ポルトガルにクリスチャン河童を追った。台北では河童主題の国際会議、台湾政府高官が歓迎演説をした。台北市内を流れる淡水河の河口からも八代・球磨川へ河童が渡来している。韓国作家もシャムと朝鮮と八代を結ぶ壮大な河童のロマンを描いている。八代は国際的にもモテモテだ。
熊本県には主な水環境に一級河川が4つ、不知火海と有明海もあり、河童の民話はずば抜けて多い。民俗学の泰斗・丸山学や牛島盛光、牛深の詩人・山下陽一らの活躍もあって河童天国である。
しかし河童愛好家の交流は県内では南北間で弱い。菊池市には渋江さんの河童除けのお札とか、天地元水神社の河童縁起など。そのお隣り、田主丸の馬場瀬神社に菊池氏ゆかりの河童の説話と習俗もあり、菊池川流域にはかって良質の砂鉄も産出されたと聞き注目している。
菊池川を水神信仰のメッカとして売り出すには県内4河川の連帯と新たな仕掛けが必要である。西日本域の最も人気のある水まつりー『九州河童サミット』三年後の菊池市開催を提言したい。
2マチ興し運動
劇作家、井上ひさしが『吉里吉里人』を発表したのは81年。パロディの奇抜さに触発され、82年、三陸沿岸に『吉里吉里共和国』が生まれた。以後いろんな目的と名前のマチ興しグループ/ミニ独立国が地域浮揚の切り札として誕生、個性を主張しはじめた。
中曽根内閣の「民活」がそれに輪をかけ、地方自治体も倣って旗を振ったので、一時期、雨後の筍の3千にも達した。いわゆる日本的(金太郎飴流/ドシャ降り的)なブームである。しかし5年もてば上々吉、大半が三年ばかりで閉国・廃村・休店に追いこまれている。熊本県では福島知事時代、官主導の「県まちづくり団体協議会」が生まれ、登録組織は250ばかりになった。しかし自力運営の創意と持続は人的・財政的に難しく、中には行政職員兼任事務局で辛うじて命脈を保っなど、実際は開店休業かおんぶに抱っこも見受けられる。
流通科学大学(白石教授)は全国200以上のグループを調査、元気印の稀少例として河童共和国(八代)の活動に高い評価を与えている。「地域への愛情と愛着を根底において展開されている。パロディの形をとりながら地方文化の再構築を図るねらいを有しており地域づくりに方向性を見据えたミニ独立国である」前出、井上ひさしも、河童共和国入国の動機について、熊本日日新聞の取材に「いろんな共和国があるが、河童共和国には思想があり初めて国民になりたいと思った。シャレと本気のバランスがとれ、まじめに遊んでいる姿勢もしっくりきた」と述べている。常磐学園大学の石川教授(民俗学)も「心の緑化運動推進」を提言して入国、ご指導をいただいている。
マチ興し運動の失敗例として、拙速な経済効果追求型の危うさと脆(もろ)さが指摘されている。自治体主導型(依存型)になると首長が交代して途端に行きづまることがある。
3河童共和国
河童共和国の活動開始は十八年前から。すでにマチづくり団体の老舗である。六年まえ熊本日日新聞社の『ひのくに応援大賞』を、五年まえには福田名誉大統領が『信友社賞』をいただいた。
河童共和国は純粋な民間の文化団体である。自力で長つづきできたのは〈遊び心・和と輪〉を大切にしている、河童にトコトンほれこんでいる、自在な研究成果と交流実績で権威をうち立てながら、継続は力なりのユックリズムを貫いてきたこと、などによる。
① 憲法と建国宣言をもっている
新しい国づくりの理想と情熱が凝縮されており、その後のミニ独立国憲法のモデルになった。日本語と英語文の冊子を世界の125ケ国へ届けた。この国は*文化渡来のロマン『河童・九千坊物語』による郷土文芸の発揚と地域振興 *河童にかこつけ、切り口のやさしい水環境擁護運動の推進 *河童愛好者との善隣友好目的に、真面目な遊び心をもって建国されたミニ独立国と規定している。
② 知的集団である
河童を伝承世界の妖怪変化とする民俗学にこもらず、河童譚を人間のくらしや自然観と読み解き、更に海の道・川の道による交流の物語りとして考証し解明する立場をとり、これを『新河童学』と名づけた。
民話に描かれた河童の姿態や動態には深い意味と根拠がある。民俗に歴史の衣を着せると急に人間臭くなり、河童への疑問が、庶民の目線から大方合理的に解明され、河童出現と活躍の必然が理解できる。
最大の成果が独自考証による八代の『河童九千坊・呉の国渡来伝説』の構築である。球磨川支流・前川べりの碑に刻まれた奇妙な8文字「オレオレデライタ」にロゼッタ石の不思議を重ね、古代中国(呉越)との文化交流のロマン説を発表した。
河童渡来のルーツの地・やつしろは現在、官民あまねく認知されている。中世、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイス来代もクリスチャン河童出現にデフォルメされている。
③ 交游の成果がある
「国づくりは百年先を見据えた人づくり・人脈づくり」と言われる。全国の河童族とあまねく国交を結び善隣友好の実を重ねた。要は時間をかけて仲良しになることだ。県内・市内でも官民合同の交流でも成果をあげた。
④ マチ興しにも寄与することができた
日本最初の河童サミット八代開催の先進性とPR効果は大きい。1999年『国立かっぱ大学』を開校、受講生は二千人を超え、受講生に珍妙な学位『自称・河童学博士』を授与している。河童芸術大賞・文学大賞も創設、二百人を表彰した。
八代は河童と水環境の情報発信基地になっている。
二〇〇五年十月
『河童伝承と水神』 熊本地名シンポジウムin菊池